知古嶋芳琉です。 前回に続いて、カリフォルニア臨床心理学大学院の 学長であったジョン・オニールの著作、 『成功して不幸になる人々』から、 思いつくままに引用しながら、 人間学についての考察を進めております。 ここでの著者の精神分析の分析力は、いよいよ 冴え渡ってまいりますが、単なる成功者の精神分析 に留まらず、彼らに対する、いわゆる世間一般の人 たちの反応についても、冷徹に、しかも客観的に 分析しているところは、 他に例を見ない分析手法です。 まるで相手構わず手当たり次第にぶった斬り、 斬って斬って斬りまくった挙句に、 細切れに切り刻んでまわるかのような勢いまで 感じさせます。 ---ここからが引用です--- ビジネスの成功が、なぜ人生の失敗をよぶのか 心の中で育つ影 ■ シャドウとは何か シャドウとは隠された自己である。自分のものである とは認めたくない。 あるいは人に見せたくないパーソナリティーの一側面 のことである。しかし、これは人間をして人間らしくして いる部分でもある。 この問題を取り上げた論文集 『ミーティング・ザ・シャドウ』の中で、 遍者のコニー・ツバイグとジェレミー・エイブラムズは、 シャドウには別名が多いと指摘している。 「聖書や神話の世界では、縁を切られた自己、 低位の自己、闇の兄弟などと呼ばれており、代役、 抑圧された自己、もうひとつの自我、イドと呼ばれる こともある」そうだ。 また、ユングが「心の影の部分」という用語を使い 始めたのは1912年ごろだったが、これは人間の 「抑圧された」側面というフロイトの考え方を発展させ たものだった。 人間は自分の性格の中でも、頭のよさ、我慢強さ、 親切心といった長所には関心を持つが、残酷さ、 怠け心、よく深さ、臆病心といった短所には目を向け たがらない。 そうした負の側面があることを十分承知しているも のの、自分の見えないところ、意識の届かないところ に隠そうとする。 したがって、シャドウの中身が持つ最大の特徴は、 <無意識の領域に存在すること>である。 経験や感情、衝動などが集まってできた、私たちが 意識して触れることのできない部分に存在するのだ。 しかし、無意識の領域にあるとはいえ、私たちの生活 に及ぼす影響力は強い。 ユング派の分析家マリー・ルイゼ・フォン・フランツに よれば、「人間の真の伝記」は無意識の衝動や感情 によって大半が説明できるという。 私たちは非常に早い時期から、自己の一部を シャドウに蓄えはじめ、死ぬまでその作業を続ける。 たとえば、小さな子供がやんちゃぶりを発揮したり、 感情(特に怒りや恐れといった否定的な感情を)を そのままに表に出したりすると大人はそれをたしなめ る。 これを繰り返すうちに、子供はそうした感情や行動を 自制するようになる。詩人ロバート・ブライの表現を借 りるならば、人は親や教師、仲間などに否定されたも のを「すべてずだぶくろに放り込み、これを引きずって 歩いていく」のだ。私たちは成長の過程で、いろいろな ものをシャドウのなかに隠していく。苦しんだり、笑わ れたり、恥をかいたりしたくないからだ。人にけなされ そうな夢、正しいけれども聞きたくない他人の評価、 素晴らしいアイディアや大きな野望なども放り込まれ る。以前、映画『メリー・ポピンズ』を観てすっかりその 気になり、傘を片手に塀の上によじ登った小さな女の 子を見かけたことがある。それを見た兄弟や父親 (私である)は大笑いしたが、傘で空を飛ぶことを空想 して恥をかいたという記憶は女の子の心に残り、その 創造力と人生の喜びを何らかの形で弱めてしまったこ とだろう。 ある程度成長して「社会に適応」すると、 人はペルソナという仮面をかぶって家族や友人と接 するようになる。子供の頃の荒々しさは覆い隠される (ただし、社会に適応できない人や芸術家は例外だ。 どちらも似たような理由で普通の人の心を捉えて離さ ない)。 カリキュラムどおりに子供の学力を伸ばしたい教師 や、元気で頼りになる従業員を求める経営者たちの 前で、自分の夢を明らかにすることもなくなる。 しかし、この豊かで感情に満ちた部分、ある意味で 真の自分だといえる部分が消えてなくなることはない。 シャドウの陰に隠れ、時おりひょっこり顔を出すように なる。シャドウに放り込まれるのは、怒りや嫉妬といっ た「否定的な」感情ばかりではない。 ここには、自分自身に直接関係するものや、所属する 家系や文化の価値観も保存されている。ある文化圏 では、人前で泣いた体験がシャドウに持ち込まれ、 また別の文化圏では、性衝動を持ったり、それを表に 出したりしたことがシャドウに隠される。 社会ではプラスの評価を受けても、自分では価値が ないと思っていることがシャドウに放り込まれることも ある。これについてはジェンダー(性差)に関わるもの が多い。たとえば西洋では昔から、女性は権力欲や 有能さを人前で見せるべきではないと教えられており、 男性は子育ての能力を発揮しても評価されない。 今日では、健康的な性の表現がプラスの評価を受け はじめているが、つい最近まではマイナスの評価で、 子供たちが真っ先にシャドウにしまいこんでいた。 創造的なひらめきを、シャドウに仕舞い込んでしまう 社会も少なくない。社会に適応したパーソナリティー とは無縁だとみなされているからだ。 人のシャドウは20歳までにほぼできあがり、子供の ころに学んだ教訓はそこでずっと生き続ける。 だが、成長をやめるわけではない。 ユングによれば、シャドウにとって、私たちの現在の 行動は過去の影響と同じか、それ以上に重要だとい う。 困難に直面して逃げるとき、仕事上の悪い兆候から 目をそらすとき、心の奥底からの欲求を抑えつける とき、私たちは常にシャドウに栄養を与えているのだ。 大人になってからの人生をどう生きるかによって、 シャドウの形や中身はよくもなるし悪くもなる。 このことは、幼い頃の体験で回復不能なハンディキャ ップをおってしまったと思っている人にとっては朗報だ ろう。心理療法などで心を開き、自分のシャドウに向 き合える人は、精神の健康にかなりよいことをしてい ると言ってよい。 ここまでは「個人のシャドウ」を主に取り上げてきた が、少し視野を広げて「組織のシャドウ」について考え てみよう。 すなわち、家族のシャドウ、集団や文化のシャドウ、 団体や企業のシャドウなどである。 家族のシャドウは、家族全体に影響を与える秘密や 否認された感情などから形成される。たとえば、 アルコール中毒や近親姦、精神病歴といった秘密を 持つ家族ほど、シャドウは大きい。集団や文化の シャドウは、多数の人々の間で恐怖や憎悪、誤解など が蓄積してできる。一定の大きさまで膨らむと、他の 集団を敵視したり、スケープゴートにしたりする。 人種差別やナチスの台頭、米国と旧ソビエト連邦との 冷戦などもこのシャドウによるものだ。 ■ シャドウと向き合う シャドウはもともと隠れたものであるため、大部分の 人は自分がその影響下にあることを意識していない。 しかし、シャドウが日常生活に入り込んでくることは少 なくない。その瞬間を認識できれば、隠れた自分をか なりの程度見出すことができる。 人間には、眠っているとき、うとうとしているときなど、 意識のガードが甘くなるときがある。それを解釈する となると難しいが、夢は自分の無意識からのメッセー ジである。また、目を覚ましているときのふとした空想 も、シャドウが発した明示的な情報を含んでいること が多い。たとえば高速道路を走っていたり、通勤電車 に揺られていたり、会社の退屈な会議でうたた寝しそ うになったときに、どこからともなくわき出た空想に とりつかれてしまった経験はないだろうか。 シャドウは、社会のタブーや性、ふだんは表に現われ ない恐怖などをネタにしたジョークや人の不幸を喜ぶ 気持ちなどで姿を現わすこともある。実際、自分が何 を面白いと感じるかをチェックしていくと自分の シャドウの中に何があるかをかなりの程度知ることが できる。また、その時の気分もシャドウの影響を受け ることがある。うつ状態は、自分自身の暗い側面に 近づいたサインと見ることができるため、その様子を 観察すれば貴重な情報が得られることもある。ただ、 私たちはそうした兆候をたいてい隠そうとする。夜遅く まで働いてみたり、何かで気を紛らわしたり、食べ物 のように物理的に働きかけてくるものを利用したりす るのだ。 他の人からのフィードバックをきっかけに自分の シャドウの一部を垣間見ることもできるが、これは 容易なことではない。 特にフィードバックが否定的なものであれば、かなり 難しい。なぜなら、人間は自分に好ましいイメージだけ を人に伝えたいと思っており、シャドウが顔を出すこと を認めたがらないからである。 お前は慢心しているとか、よそよそしいなどと言われ て驚くことがあるのは自分はそうありたくないと常々 思っているからだ。自分が受け取っている フィードバックが有効かどうかを確かめたいなら、 セラピストの言うとおり、複数の人から意見を聞き出 すとよいだろう。 うっかり口を滑らせたり、人との付き合いで失敗する ことも、日常生活にシャドウが顔を出した結果である。 人をほめるつもりだったのに「なぜか」けなしてしまっ たときには抑圧された何らかの感情がシャドウから声 を発しているのが普通である。ふだんならまずやらな いこと(人に会う約束を忘れてしまうなど)をしでかして 周囲の人を驚かせてしまったときもシャドウがからん でいる。自分の意図と違う印象を与えてしまう行動も、 この部類に入る。 一所懸命愛想よくしたつもりなのに、後で話を聞くと 「とてもイヤミな感じだった」と言われてしまうケースだ。 こうした日常的なトラブルだけでなく人生の大きな危機 も、ほとんどの場合、シャドウの力に対する反応であ る。会社を辞める、解雇される(いわゆる「リストラ」は 除く)、お金に困る、永年連れ添った配偶者や友人と 別れる、中年の危機に見舞われるなど、いずれも シャドウに隠されていたものが抑えきれなくなって 表に出てきた現象である。 自分のシャドウが配偶者や上司のシャドウとぶつかり 合った結果、危機が生じる場合もある。 ■ 他人の中に自分を見出す 私たちは、自分のシャドウの中身など見たくないと 思っている。そのため、シャドウに隠れているもの (特に、自分が毛嫌いしている自分の性格)は、 人とのかかわりの中で姿を現わすことが多い。 心理学ではこれを「投影」と呼んでおり、シャドウが 私たちの人生にどう影響するかを理解するためには、 このメカニズムを知る必要がある。 投影とは、自分でまだ認識していない自分自身の 一部を他人の中に見出して、それに反応することを いう。 マリー・ルイゼ・フォン・フランツは、人の中に「的」を 見つけるという意味で投影を「魔法の矢」と呼んでい るが、なかなか鮮やかなたとえである。 投影には、否定的な投影と肯定的な投影がある。 否定的な投影とは、自分のパーソナリティーの好まし くない側面を他人の中に見つけることをいう。 したがって、自分のシャドウの中に何があるかを知る には、他人の性格がひどく気になるかどうか考えてみ るとよい。 コンサルタントのキャロルは、ある顧客と話すとき、 いつもイライラしていた。顧客がなかなか彼女の話を 理解しないことが原因だったが、イライラの程度が 尋常ではなかった。あれこれ考えた末、キャロルは 自分がスピードを重視しすぎていること、そして自分 自身が「遅い」と指摘されるのを極端に怖がっている ことに気がついた。もっとも、投影は相手の真の姿に 左右される面もある。たとえば、ある人物が尊大だと 思うとき、それはその人物が本当に尊大な場合もある からだ。そうなると、尊大だと思う反応のどの部分が 投影によるものかを判断するのは難しい。投影に潜 む最大の危険は、人を見る目が曇ってしまうことだ。 分析家のエドワード・C・ウィットモントによれば、 自分の嫌いな特徴をたまたま相手が持っているだけ で、人は「相手を客観的に見たり、交流したりできなく なる」という。 シャドウが持ち込む暗闇のために、相手の真の姿を 見分けられなくなるというのだ。最も一般的な投影は スケープゴート化、すなわち責任転嫁だろう。 結婚生活に興味がなくなったことを認めたくないばか りに配偶者を責めるケース、約束に遅れそうになった のは自分の無計画のせいなのにタクシーの運転手の せいにするケース、自分たちが貧しいのは移民が来 たからだと騒ぎ立てる人種差別団体のケースなどが そうだ。 ビジネスの現場では、プロジェクトの失敗の責任を 仲間同士で押し付け合うことがある。また、自分の 才能を活かして働いている従業員に、マネジャーが 個人的な嫌悪感を抱くこともある。 自分の支配力の低下を恐れるあまり、「このグループ ではうまくいかない」などと不満を述べるケースもある。 成功している人は、ほかの人からの投影に苦しめら れることが少なくない。たとえば、野心のある従業員 が満たされない欲求をシャドウに押し込み、管理職に 妬みの感情を持つことがある。人間性など無視して 「運だけで」管理職になれたと考えてしまうのである。 しかし、投影という行為そのものは、決して悪いことで はない。また、自分のシャドウに隠れている特質を 相手が持っているために魅力を感じるという、肯定的 な投影もある。内気な人が、どんな状況でも物怖じ しない性格の持ち主に魅力を感じるケース、創造性 豊かで成功への野心も強い人が、落ち着いた雰囲気 の人物に魔法の矢を放つケースなどがそれにあたる。 投影は、外界と接触するうえで必要なステップであり シャドウを陽の当たる場所に引きずり出す唯一の 手段であることも多い。 しかし、私たちはさらに一歩前進し、引きずり出した シャドウの中身を見つめ、それが自分のものである ことを認めなければならない。放った矢を「呼び戻す」 のは容易なことではなく、勇気のいることだが、人間 として成長し、自分自身が仕掛けたワナを理解するた めには、欠かせない作業なのだ。 ■ 成功は人間の暗い側面を育てる 目立つ人ほど大きなシャドウを引きずっている可能性 は高い。これは、人間心理の法則のひとつと言って いいだろう。 富と権力、高い知名度という三つの要素が集まれば、 シャドウにとって申し分のない環境が整う。 否認や自己肥大が生じやすくなり、投影の対象にも なりやすくなる。絶対的な権力が必ず腐敗していく 政治の世界を例にあげれば理解しやすいだろう。 芸能人やスポーツ選手、著名なビジネスマンが愚か な振る舞いをしてゴシップ雑誌に取り上げられるのも 同じ構図だ。 精神の健康を得るには、すなわち己を知り、有意義 な人間関係を楽しみ、共同体の一員であるという実感 を持つためには、自分が不完全な存在であることを 知り、それを受け入れなければならない。だが、成功 してしまうと、これがとたんに難しくなる。 リーダーになれば、弱さや下品な面を見せてはなら ないというプレッシャーを常に感じ、無理を重ねていく からだ。そして、それに耐え切れなくなって弱さを見せ ると、成功者かくあるべし、というイメージを裏切ったと 批判される。 「不倫もクスリもとんでもない。そんなことなら、 そのカネと権力をオレにくれ。オレならそんなミスは しない!」という非難に見舞われるのだ。 しかし、有名人にならなければ、シャドウは表に出て こないというわけではない。成功してある程度名を上 げた人なら誰でも、シャドウのなかに強力なパートナ ーを抱えている。シャドウに隠された自分の一部が優 れた実績を残す支えになることも多い。 貧しい幼年時代を送ったために経済的な安定を求め る気持ちが強かったり、人と違うからといってバカに された幼少の思い出ゆえに「笑われたくない」という 意識が大人になっても残るといったパターンだ。 一般に、成功を収める人々は聡明で人をまとめる力 がある。機転が利き、自分の魅力で人のやる気を引 き出し、成果を収めるというカリスマ性を持っている。 そうした長所を利用することで自我を鍛えている。 ただ、こうした肯定的な自己イメージが膨らむと、 その人の否定的な側面は表に出せなくなる。 怠惰、無関心、怒り、嫉妬といった感情は隠される ようになる。また、成功する過程では弱点も克服され るのが普通である。これ自体は、誇りに思ってよいこ とだ。しかし、引っ込み思案であることや、社交の作法 を知らないこと、健康を害していることなどは否認され、 過剰な補償という形でツケが回ってくることもある。 さらに、ビジネスで成功している人は、そのエネル ギーを限られた部分に集中させているのが普通であ る。家族や社会の教えに従うのが得意だった、つまり 親や教師、上司らの言いつけを忠実に守ったからこ そ、ハシゴを上がることができたという人が多いのだ。 しかし、彼らが野球選手や詩人になりたいという夢を 持ちながら、周囲の賛成を得られずに断念していた 場合には、抑圧された欲望がシャドウに放り込まれて いるはずである。成果を得てそれを守るようになると、 シャドウを隠しておきたいという気持ちも強くなる。 プラスのイメージは何が何でも守りたい。 本当はそうでなくても「大丈夫だ」と言いたくなる。 負の感情やシャドウの中身は、意志の力で追い払う ことができると思うかもしれないが、それは希望的 観測に過ぎない。 確かに、「そんなものは存在しない」と言い切ってしま うことは、ある程度有効だ。好ましくないことをシャドウ に隠すことは、人間として成長したり、社会に順応した りするうえで必要なことである。シャドウを隠さないの は犯罪者や、社会から追われてしまった人々だけだ。 目標に向かって進むなら、自分の長所を足がかりに するのが一番だろう。 しかし、自分に暗い側面があることを否認したり、 そんなものは克服できると想像したりすることは 精神衛生上、危険である。